『お米の里帰り』
10月22、23日福島県に行きました。
福島のお米を三重県亀山市で育て、皆さんに支援金の協力を頂きまして、
たくさんの野菜、お米を届ける事が出来ました。
物資、支援金など協力頂いた方々、ありがとうございました。
今回の福島支援の報告を少ししたいと思います。
福島に向かったメンバー
・岡田桂織(月の庭)
・西木稔(ハラペコあおむし)
・加藤俊介(三重オーガニックマーケット)
スケジュール
21日 22:00に亀山を出発。
常磐道で福島に入る。
22日 南相馬 特定非営利活動法人さぽーとセンターぴあ
お米、野菜を届ける。

23日 飯館村から福島市へ避難されている方々へ
炊き出し、お米、野菜を届ける。
24日 3:00亀山に帰宅。
『 三重県での暮らしの有難さ 』
宮城県石巻市へ7月に行き、津波、地震の激しさを肌で感じました。
そして今回は福島県。
津波、地震、そして放射能。
向かう前から考えてはいましたが、
福島に入り、緊張感で高まりました。

「ここから先は20㎞圏内です。」
大阪から応援に来ている警察官が雨の中警備しています。
この方も普通の人間です。
私たちより放射能に対して強い訳ではありません。
出発から9時間以上走り、
南相馬の福祉施設に到着。
代表の青田さんが出迎えてくれ、
施設の中で3、11からの話をしてくれた。
3月11日午後2時46分ごろマグニチュード9.0で気象庁観測史上最大の地震がおきた。
福島では震度6強から6弱を観測。大津波が、各地に甚大な損害をもたらした。
地震発生後、福島第一原子力発電所において、
放射性物質が漏出する重大事故が発生した。
6基の原子炉のうち、1~4号機の電源が津波の浸水により故障し、
さらに原子炉建屋内で水素爆発がおきるなど、炉心溶融の危険性が生じ、
アメリカのスリーマイル島原子力発電所事故(1979)を上回り、
旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所事故(1986)に比べられる大事故となった。
政府は原子力災害特別措置法に基づき、
「原子力緊急事態」を宣言、付近住民の避難が行われた。
青田さんの働く、さぽーとセンターぴあは
原子力発電所から25㎞の所にある。
デイサービスでサポートをしていた事もあり、
みんなをおいて逃げる事は考えなかったようだ。
震災から半年以上が経つが、
建物の中でも放射能の数値は高い。

25㎞の場所にしては以外と低く感じるのですが、
場所によって風向きでは10以上になると言う。
22日のうちに福島市に移動して、
避難所の代表のかたと会った。
村の方々が良い顔で向かえてくれる。
この笑顔が辛くも感じ、でも力をもらう。
この方々は、
特に線量の高い飯館村から福島市に避難している。
原子力発電所の事故が発生し、
テレビ、新聞で危険なのは30㎞圏内だと聞き、
事故後も村で暮らし続けていた。
風向きで線量の高いのが判明して、
今までの暮らしを泣く泣くすてたのだ。
マンションに各家族が入り、
場所が変わったが村でのつながりは変わっていない。
炊き出しのために、
おじいちゃんもおばあちゃん、
息子、娘、そして孫と、みんなが手伝ってくれる。
本当にあったかい。



驚く事に、
炊き出しは私たちが初めてだと言う。
そして最近、愛媛県から水が送られて来た。
物資はそれが初です。
メディアでは、
物資は足りていると言っているが、
現実は違うようです。
実際に子供達に飲ます水はスーパーなどで購入、
マンションでの光熱費なども実費。
飯館村の暮らしでは、
山から水をひき、
お風呂は薪で炊く。
今までは必要なかったお金まで、
彼らにはかかって来ている。
国や東電が見てくれるのか。
三重に帰宅してから、
1週間が経とうとしている。
普通の暮らしが有難い。
車に乗り暑かったら窓を開けれる。
朝起きて、窓を開けて深呼吸。
のどが乾いたら水道をひねり水を飲む。
福島の人達は、この普通が今行えない。
ひとつ、ひとつ気を使い、
目に見えない放射能と戦っている。
今、私たちが出来る事は、
彼らの現状を把握し一緒に考えることだと思う。
同じ日本、彼らだけの問題ではない。
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11月のマーケットの開催中、
写真を見ながら報告会を行いたいと思っています。
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